エイサーとは

沖縄では旧盆に先祖を出迎える「ウンケー」(お迎え)という行事が行われます。そしてこの世で過ごした先祖の霊を見送りする「ウークイ」(見送り)という儀式を行い先祖の霊を供養します。
その行事の「ウークイ」の時に勇壮なエイサーの唄と踊りにより祖先の供養をすると共に、無病息災・家内安全を祈願して各家庭や地域を回ります。いわゆる本土の「盆踊り」にあたり、沖縄本島の中部が特に盛んです。

エイサーは各家々や商店、通りを回り、その勇壮でダイナミックなパフォーマンスを披露します。それを「道ジュネー」(みちジュネー)と呼んでいます。道ジュネーの際に自治会への寄付(おひねり)を募る場合もあります。

エイサーはおもに旧盆の3日間を中心に行われますが、それ以外にも沖縄市の「オリオンビアフェスト」と平行して行われる「沖縄全島エイサー祭り」や北谷町で開催される「青年ふるさとエイサー祭り」那覇市の国際通りで行われる「一万人のエイサー踊り隊」などの各沖縄の大きな催し物や地域のイベントなどにも登場し、重要な観光イベントのひとつにも数えられます。。
エイサーは各自治会の青年会により結成され、旧盆が近づく頃には地域の公民館などに青年会の男女が集まりエイサーの練習に励んでいます。

エイサーの構成

エイサーは大別すると、楽器を担当する人と踊りを担当する人がいます。さらにエイサーを盛り上げる担当がおり、各役割があります。

まずエイサーの一番先頭に立ち、青年会の名前を記した旗持ちのことを「旗頭」(はたがしら)と呼び、掛け声と共に旗を上下左右に揺らし自らの青年会をPRします。

エイサーのダイナミックな打音と拍子を担当するのが「太鼓打ち」(テークウチ)と呼び、おもに男性が担当しています。
「太鼓打ち」には太鼓の集団の先頭に立ち、直径50cmほどの「大太鼓」(ウフデークー)担当する人と、鼓のような形をした直径30cmほどの「締太鼓」(シメデークー)担当する人、片面だけに皮を張った小振りの直径20cmほどの「パーランクー」を担当する人がいます。

サンシンと唄を担当するものを「地謡」(ジカタ、ジウテー)と呼び、おもに青年会のOBや地域のサンシンの名人達が担当します。

エイサーの踊りを担当する人達を「手踊り」(ティモーイ、テーモーヤー)と呼びこちらはおもに女性が担当していますが、男性の手踊りもいます。

そして、エイサーの盛り上げ役ともいえるのが「京太郎」(チョンダラー)で地域により「三郎」(サンラー)などと呼ぶ所もあります。顔は白くひょうきんな顔立ちに化粧を施し、珍妙な踊りでエイサーの道化役としての役割を果たしています。

エイサーの歴史

エイサーの起源は500年以上前の「李朝実録」(1479年)の中に、当時の那覇の記録として残っており、18世紀中頃の「ニンブチャーウドゥイ」(念仏踊り)とされ、先祖を供養するため首里などに風習として存在していました。
明治時代になると念仏の詠唱を村の若者達が引継ぎ、念仏詠唱の変わりに民謡を取り入れ、庶民の間にエイサーとして広まり、独特の衣装も形作られて行きました。

 

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